2011年9月28日水曜日

バルセロナ4 ランブラース通り

会社は7:30始業で9時に15分休憩があり13時から1Hの昼休みで5時に終業する。夏時間で夜9時頃が日本の夏の夕方6時頃の感じで、夜10時頃からレストラン等も本格稼働し人出がピークとなり深夜1~2時まで賑わっている。では朝が遅いのかというと、そうではなく朝の通勤時間ピークは真っ暗な7時頃であり彼等は一体何時間寝ているのか。
日本人は睡眠時間減らして目一杯仕事する。スペイン人は睡眠時間減らして目一杯家族と過ごしたりして遊ぶ。と考えるとどちらも睡眠不足は同じということに。

金曜が半ドンで土日が休み。週2日半の自由時間を使って週末はバルセロナの街めぐりとなる。週末になるとよく行ったのがカタルーニャ広場から港まで一直線に延びるランブラース通りであった。
観光客なら誰もが立寄る浅草仲見世通りといったところか。

1991.9.19
バルセロナで最も賑やかで下町繁華街的なランブラース通りではいつもこうして高齢者が夜遅くまで延々とお喋りを楽しむ。カタルーニャ地方の人々が大切にしているのは、まずは家族のこと、そして仲間とのお喋りで決して仕事ではない。
通りにはレストランや土産物店が延々と並ぶ
ランブラース通りにあるサンジュセップ市場

2011年9月27日火曜日

バルセロナ3 バルセロナの休日

第二回目の訪問は1991年9月17日12:20発JAL401でM君と二人で成田を出発。
12時間でロンドンのヒースロー着、そこからイベリア航空でバルセロナに22:00に到着。夜のバルセロナの街路灯風景の中をマジェスティックホテルに着くとすぐに熟睡。
翌朝、提携先の会社のKがやって来てレンタカーがホテルの前に用意され、いきなりこれを運転してKに着いてこいとのこと。市街に出て郊外にある会社(工場)まで向ったが、郊外はどこも高速道路並みに飛ばし速度の感覚が日本とはまるで違う。
提携先の会社でこれからのスペイン生活面について打合せる。ガソリンの入れ方から欧州式ロータリーの曲がり方、駐車の仕方、食事、コインランドリー、宿、買い物など何もかもが日本とは違う。仕事の進め方も日本とは根本から異なる。


市庁舎近くの休日の市 1991.9.21

スペインらしい裏通り

ピカソ美術館
裏通りの住宅

2011年9月25日日曜日

バルセロナ2 市内巡り

バルセロナに来て3日目に初めて仕事なしの市内観光となる。
タクシーで主な市内名所を巡ったが、数日の滞在でバルセロナが判るはずもない。
やはりサクラダファミリアは圧巻であったが、それは名所のほんの一部に過ぎなかった。

サクラダファミリアから見た市街.街の向こうに地中海が拡がる 1991.6.28

サクラダファミリアから見た市街.モンジエックの丘方面を見る

初めて見るサクラダファミリア


2011年9月24日土曜日

バルセロナ1 グラシア通り

長い事探していた1990年以降のネガカラーが本日やっと見つかった。
もう20年も経ってしまったが、懐かしいバルセロナの街を写真で記録してみる事にした。詳細は別途とし、主な風景で日記を追いかけてみることにしよう。

マジェスティックホテルよりグラシア通りを見る。1991.9.26
ガウディ建築の有名なカサパトリョやカサミラが窓から見える。

この日仕事で初めてスペインのバルセロナを訪問。ガウディのサクラダファミリアや街中の建築についてはまだ何も知らなかった。何かがあるらしいくらいの知識しかなかった。
今回の数日間のキックオフミーティングから約2年間、日本とバルセロナを仕事で往復する生活が始まった。定宿へ移動するまではいつもグラシア通りにあるマジェスティックホテルを使ったが、近くにはガウティの有名な建築が幾つも並び、窓からあのカサパトリョがよく見えた。がそんなガウディの建築だらけの町であることを知ったのはずっと後で、この時はバルセロナの事前知識がまるで無かった。



グラシア通りに面したマジェスティックホテル
白シャツ姿が会社のキックオフメンバー